あの日、私の膝は突然動かなくなりました。
今から13年前の話です。
仕事が終わり、職場から西武新宿駅へと向かう帰り道。音楽を聴きながらいつものように何気なく駅へと向かっていました。
ガード下をくぐり抜けようとしたそのとき、膝の奥で「ガチッ」と何かが噛み合うような感覚と共に激痛が走り、次の一歩が出なくなったのです。
「えっ、何これ、どういうこと!?」
力を抜いてゆっくり動かしてもダメ、角度を変えて動かそうとしても動きません。そのときもっていた知識をフル回転させて対処しましたが、何をやっても膝は動いてくれません。
自分の身体なのに、思うように動かない、、その感覚に戸惑いながら、その場にしゃがみ込みました。
周囲には、いつも通り人が歩いています。仕事帰りの人たちが、それぞれの目的地へ向かって通り過ぎていく。
数秒前まで、私もその流れの中にいました。それなのに突然、私だけが立ち止まることになったのです。
どうやっても膝の痛みはとれず、動きもしません。膝はまるで意思を持って拒むかのように、動きをピタッと止めていました。

しばらくして、運良く膝のロックが解けて歩くことができたのですが、その日以降、同じように膝がロックする確率が高くなり、私は、常にビクビクしながら歩くようになっていました。
それまで、さまざまな怪我を何度も繰り返してきましたが、この時はさすがに「やばい状態かも…」と思った記憶があります。
それから何日か過ぎたある日、自宅近くの少し大きな整形外科に訪れてMRIを撮ることに。
待合室で受診の順番を待っているときこう思いました。
「一体自分の身体はどうなってしまったのだろう、、」「もう野球ができなくなるんじゃないか、、」と。
そんな不安な気持ちで待っていると名前を呼ばれ、先生の話を聞くことに。そして、MRIの画像を見ていた先生から衝撃の事実を聞かされることとなるのでした。
・・・・・・
「青木さん、、あなたの前十字靭帯、消えてなくなってしまっていますよ。」
「これ、だいぶ前に前十字靭帯を断裂していますね、時間が経ち過ぎてキレた靭帯が身体に吸収されちゃってます。」
「以前に、膝の怪我したことあるんじゃありませんか?」
・・・・・・
私は、頭の中で「前十字靭帯が切れて、すでになくなってしまってる、、それってどういうこと???」と思っていました。そして、次の瞬間ある怪我のことが頭をよぎったのです。
それは、そのときから遡ること10年ほど前、野球の試合で相手チームのランナーが私にわざとぶつかってきたという出来事です。
そのとき整形外科でレントゲンを撮ってもらい受けた診断は、「内側側副靱帯損傷」でしたが、
膝がびっくりするぐらいパンパンに腫れていたし、しばらく頑丈な金具の入ったサポーターをして仕事をしていたという記憶も蘇ってきました。
「もしかしたら、あのとき前十字靭帯はすでに切れていたのかもしれない・・・」
そうだとしたら、10年間、左膝の前十字靭帯が切れたまま、野球をやっていたのか???
もしかしたら、膝が反対に曲がってしまう可能性もあって、もっと大怪我で痛い目に遭っていたかもしれないというのに。
その時はじめて、恐怖を感じ、それと同時に、どれだけ身体を”雑”に扱ってきてしまったんだと気づくことになったのです。
きっと、膝がロックしたのは、身体のストライキだったのです。

手術、そして、武道との出会い
その日私は、左膝の前十字靭帯を再腱する手術をしました。(2013年のクリスマスの日だったと思います。)
「手術すれば治る」
というなんとも“安易“な考えをしていたのはお恥ずかしい話です。
手術するのは2回目。1回目は野球選手を目指してアメリカに渡る1年前のことでした。
度重なる脱臼で痛んでいた左肩の手術。その時も、身体を物のように扱っていたし、今のように大切にしていなかったのは、今も反省するところ。
自分なりにケアをしていたつもりではいましが、そのマインドや前提がズレていましたし、あまりに無知だったのです。
当時、私は真剣に野球をするのは、そろそろ終わりに近づいてきたなと思っていました。
動きは悪くなり、プレーするたびに怪我や痛みの連続。試合でもチームの流れを悪くするようなミスばかり。
ベテランでチームに貢献するには、結果を出し続けるしかありません。
ですが、私は、結果を出すことができませんでした。とても落ち込みました。それどころか、試合に出たときに“恐怖心“すら覚えるようになってたのを記憶しています。
一方で、心のどこかでは、
もう一度、若い頃のような動きやプレーをしたい、納得いくパフォーマンスを出したい。
そういう気持ちも持っていたのも確かです。
筋トレ、ストレッチ、インナーマッスルのトレーニング、体幹トレーニング、アジリティトレーニング、初動負荷トレーニング、アイシングなど
できる限りのことはやってはいたのですが、何をやってもしっくりきませんでした。
確かな効果を感じるものが一つもなかったんですね。(唯一20代にやっていたウェイトトレーニングは、体重も増えパワーもついて効果を実感できるものでしたよ。)
目指している動きには程遠い状態でした。
そんな時です。
記憶が定かではないのですが、確か手術よりも前に、”武道の身体の使い方”と出会いました。
当時のTwitterで師匠が弟子を軽々と投げている動画を見つけて、それ以来、師匠の動画を見ては自分で試していたんですね。
実は、当時の自分のレベルでもいくつか出来たワークもあり、「あれ、なんだか面白いぞ!」「もしかしたら、これが理想の動きができるようになる方法かも!」と興奮を覚えたのを思い出します。
そして、強烈に実際に体験してみたいという思いになり、大阪でのセミナーに申し込んだのでした。
しなやかさ、軽やかさ、素早さ、力強さ、グラウンドを躍動感ある動きで駆け回っていた頃のような動きが、もう一度できるかもしれない。
そう思い、武道の世界に足を踏み入れたのでした。

大阪で初めて稽古に参加した日のことは、今でも鮮明に覚えています。
「これなら野球にも活かせるかもしれない。」
それと、
「仕事にも使えるかもしれない。」
という淡い期待を胸に会場へ向かいました。
(今だから言えますが、当時は私は独立しており、売上を上げることにばかり意識を向けていました。そのため、新しいメソッドを求めてセミナーを受けまくる、そんなセミナージプシー状態でもあったのです。)
ところが、その期待は開始数分で打ち砕かれます。
私は、何もできませんでした。動画で見ていた動きは、頭では理解しているつもりでしたし、何度も見返して自分でも練習していました。
でも、実際にやってみると、まったく違う。言われた通りに身体を動かしているつもりなのに、できません。
「もっと力を抜いて。」と言われます。「抜いているつもりです。」「いや、全然抜けていません。」
そんなやり取りを何度も繰り返しました。
私は正直、混乱しました。力を抜いているつもりなのに、抜けていない。真っ直ぐ立っているつもりなのに、傾いている。背骨を使っているつもりなのに、使えていない。
その時、初めて気づいたんです。
私は、自分の身体のことを何も知らなかった。 もっと言えば、「自分の身体だから、自分が一番分かっている。」そう思い込んでいただけでした。
私は、自分の手は自由に動かせると思っていました。足も、肩も、呼吸も。野球でもできてると思い込んでいました。自分の身体なのだから、自分の思い通りに動いていると、、
でも実際は違ったのです。身体は思い通りになんて動いていなかった。思い通りに動いている”つもり”だったのです。
稽古を始めて3ヶ月ぐらい経った頃。手術後できなくなっていた正座が、なんと、できるようになっていました。
それだけじゃありません。脱臼癖のあった左腕も45度しか上がらなかったのが、頭の後ろまで上げられるようになり、とても驚きました。
これは、“背骨“にフォーカスすることを教えてもらい、日々取り組んでいた成果が出たのだと思っています。奇跡と言っていい出来事でした。
一方で、稽古で師匠がみせる動きは、全くもってできない状況が続きました。
自分には向いていないのかな、これをやり続けて意味があるのかな、、などなど、少し弱気になっていたのですが、
師匠のある言葉がきっかけで、この流れが変わることになったのです。
その言葉とは、
・・・・・・
「”できるできない”じゃない、ただ、感じるだけや。」
という言葉でした。
当時、深く考えずに、言われた通りにしてみることにしました。
全然できるようにならないなぁ、、そんなふうに思っていたのですが、そういうことじゃなくて、もうただ感じてみようって、
なぜだかその時は、そう素直に思えたのです。
それ以来、稽古では、”受け”だけをやるようにしました。自分が稽古するのをやめて、相手がやっているのをひたすら受け続けました。
稽古仲間がやりたくないと思っているであろう人とも、積極的に組むようにしました。
普通は、自分が成長したいから、自分がやりたくなるものです。ですが、それでは“できるできない“ということに執着していることになると思ったのです。
とにかく受けて、感じるだけ、
それをひたすら続けました。
最初は、なんにも分かりませんでしたよ。だって、何しろ、どれが良くて、何が正解かがわからないんですから。
それでも、感じることだけを続けました。
師匠の見本を受けて、稽古の相手のやっていることを感じてみると、”違う”ということだけはわかりました。
でも、何が違うかはそのときはわからなかったんですね。
しかし、時間が経つとなんとなく、何が違うかを言語化できるようになっていきます。
言語化と言っても、少し重たい気がするとか、自然と動かされる感じがしないとか、ボキャブラリーは少なかったです。
今考えると、言語化できていることしか身体で理解していないのだから、そりゃ、大したことは言えてなかったなという感じです。
それでも、それまで観えなかったこと、感じられなかったことが少しずつ感じられるようになってきたのです。
これには驚きました。なにせ、自分はやっていないのですから。それなのに、理解できるように、感じられるようになってきたのです。
これこそ、”神経可塑性”が働いていたんだなと思っています。
いつ辞めようかなと思っていたぐらいだったので、続けてきてよかったな、と思った瞬間でした。
そのうち、できなかったことができるようにもなり、不思議だなぁと思っていたのですが、そういった経験をしてきたことで、
稽古では、まず感じることが大切なんだ、、ということが自分の中で明確になりました。
そして、”感じる”ということ言葉の定義も実感として身についてきたのです。
そこから、9年間は野球を封印して、武道の稽古にエネルギーをかけることになります。
しかし、その9年間の成果は思っているよりも大したことはなかった、、そう言わざるを得ない出来事が起こるのでした…。

9年探究したのに、野球では通用しませんでした。
2023年4月、
突如として野球を再開しました。
9年間、野球から離れていた理由は単純です。自分の思うように動けなかったからです。
怪我もありました、痛みもありました。でも、それだけではありません。自分の身体に納得できなくなっていたんです。
「もっと動けるはずなのに。」
その感覚だけが、ずっと残っていました。だから私は野球を離れました。その代わりに始めたのが、身体の探究でした。
武道を学び、毎日身体に意識を向け、立ち方を変え、歩き方を変え、身体に触れ、稽古で試し、また課題を見つける。
そんなことを9年間、飽きもせず続けていました。
そして、ある日ふと「野球をやってみたい」と思ったのです。
9年間、探究してきた身体は、本当に変わったのか。私はそれを確かめたかったんです。
しかし、待っていたのはあまりに衝撃的な事実でした。
身体の使い方を探求してきた私は、理想とするプロ野球西武ライオンズの源田内野手のように、かなり軽く動けるだろう、軽やかにプレーができるようになるんじゃないか、と思っていました。
新宿中央公園内には、スポーツ広場があり、そこは、都内では貴重な場所で、ボールを壁に当てる“壁当て“ができる場所です。
そこで、壁当てをしている自身の姿をスマホを三脚にセットして撮影してみることに。
「まあ、そこそこ動けているでしょ。」
そんな気持ちでした。
9年間ですよ。毎日のように身体を探究してきました。セミナーへ行き、本を読み、遠方まで学びに行きました。振り返れば、使ったお金は1000万円近くになります。
「これだけやったんだから、さすがに変わっているだろう。」
武道もやってきて、身体感覚もずいぶん変わった.正直に言えば、少し期待していました。
動画を再生しました。
・・・・・・
「えっ。」
思わず声が出ました。もう一度見ました。「あれ?」もう一回。
「嘘でしょ。」そこに映っていたのは、私が思い描いていた自分ではありません。
年齢を重ねた、ただのオジサンでした。
肩甲骨は思ったほど動いていない、背骨も固い、足も重たい、動きにキレはない、軽さもない。源田選手の動画を見たあとだったので、その差は余計に大きく感じました。
正直、少し笑ってしまいました。
「もっとイケてると思ったんだけどなぁ……。」
本当にそう思いました。
とにかく動きがぎこちなくて、酷かったのです。
一瞬、「9年間、何をやってきたんだろう。」そんな気持ちにもなりました。でも、不思議と落ち込むことはありませんでした。むしろ、ワクワクしたんです。「まだ何か見落としている。」「まだ身体には秘密がある。」そう思えたからです。
その日から、見本とする源田選手と自分の動きを比較して、本格的に野球の動きを取り戻していく作業をしていくことになりました。
でも、不思議だったんです。武道では確かに変わっていました。身体感覚も昔とは比べものにならないほど育っていました。痛みや怪我がほぼなくなり、明らかに身体は違っていたのに、
それなのに野球になると、その変化がほとんど表れなかったんです。なぜなんだろう、その答えを探し始めたことが、今の探究につながっています。
私は9年間探究しても、自分の動きを正しく見られていませんでした。もし動画を撮っていなければ、今でも「自分は動けている」と思い込んでいたかもしれません。
身体は嘘をつきません。でも、人は簡単に「できているつもり」になるということ、そのことを身をもって体験しました。

9年間の伏線が一気に回収された理由
我ながら酷い動きだ・・・。
動画に映る姿を見て愕然とした私は、それ以来、時間を見つけては、新宿中央公園で壁当てをするようになります。
必ず、スマホと三脚を持って。
小学2年生の頃、父から一つのグローブを手渡されました。父が使わなくなった大人用の大きなグローブ。
革からは長い年月を感じさせる匂いが漂い、何度もボールを受け止めてきた柔らかさがありました。
今でも覚えているのが、夏休みの蝉の声が響き渡る暑い日のことです。
朝から始めた壁当ては、お昼ご飯を挟んで太陽が傾き始めても終わりません。
夕方、お腹が空いていることさえ忘れ、「ご飯だよ」と母に呼ばれるまで、何時間でもボールを投げ続ける。
アスファルトの熱、鼻に残る土と革の匂い、耳に響く蝉の声、全身を流れる汗。
あの日の感覚は、40年経った今でも、身体の奥深くに残っています。
投げる、、跳ね返ってきたボールを捕る、、また投げる。ただ、その繰り返しに”夢中”になっていたあの頃。

そして、あれから40年。気がつけば私は、昔と同じように壁の前に立ち、夢中になって身体と向き合っていたのです。
ところが、現実は思い描いていたものとは違いました。
なぜ私は9年間の稽古を野球にすぐ活かすことができなかったのでしょうか?
身体は確実に良くなっていた、、自身の癖も知覚し修正してきた、武道での使い方も上達していた。
それなのに、野球では思うように動けなかった・・・。その要因はいくつもあると思います。
今振り返ると、その中でも最も大きかったのは、私はまだ、守破離の『守』を歩んでいる最中だったということです。
守破離(しゅはり)とは、
日本の武道や茶道などで受け継がれてきた、学びの成長過程を表す考え方です。
一般的には、
『守』
師や型を忠実に学び、基本を身につける段階。
『破』
型を検証し、自分なりの工夫や試行錯誤を重ね、本質への理解を深める段階。
『離』
型に縛られることなく、本質を体得し、自分自身の自然な動きや表現へと昇華する段階。
この3つの段階で説明されることが多いのですが、本来の守破離は、一度「離」に到達して終わるものではありません。
武道の世界では、一つの技を身につけるたびに、また新たな「守」が始まります。
つまり、
『守 → 破 → 離』
で終わるのではなく、
『守 → 破 → 離 → 新たな守 → 破 → 離』
というように、より高い次元へ向かって何度も繰り返される、螺旋状の学びだと考えられています。
『離』に到達した瞬間、新しい『守』が始まる、この終わりのない循環こそが、守破離の本質なのです。
私は、この考え方は身体探求にも、そのまま当てはまると感じています。
・理想となる動きを見つける。
・まずは真似てみる。
・自分の動きを客観的に観察し、理想との違いを見つける。
・その違いを一つひとつ修正し、再び確かめる。
・身体に馴染んできたら、さらに高い理想が現れ、また新しい守が始まる。
この繰り返しです。
9年間、私は守破離を繰り返しているつもりでした。
けれど、野球を再開してみて気づいたのは、その9年間そのものが、大きな意味では「守」の稽古だったということです。
私は武道の稽古で身体の使い方の答えを出そうとしていたのではなく、答えを受け取るための身体を育てていたのです。
そして、野球という実践に出会ったとき、初めて「破」が始まりました。
理想の動きを追い求め、自分との違いを見つけ、一つひとつ検証し、修正を繰り返す。
その過程で、9年間積み重ねてきた身体の探求が、一気につながり始めたのは、こういった経緯があったから。
あの9年間は、遠回りだったのではありませんでした。
すべては、この瞬間のための「守」だったのです。
13年間の探求の智慧を開放します
※メールの後半に大切なお知らせがあります。
前回のメールでは、「守破離」についてお話ししました。
『守 → 破 → 離』
で終わるのではなく、
『守 → 破 → 離 → 新たな守 → 破 → 離』
より高い次元へ向かって何度も繰り返される、螺旋状の学びです。
野球を再開してからの3年間。私の身体探求は、まさにこの循環を高速で回し続ける日々でした。
壁当てで課題を見つける
↓
動画を撮る
↓
理想と比較する
↓
修正する
↓
もう一度試す
壁当てでできるようになったことを球場で試し、球場で見つかった課題を、また壁当てへ持ち帰る。
この循環を何度も何度も繰り返した結果、私は35歳の頃よりも、49歳になった今のほうが、心地よく身体を動かせるようになりました。

開脚も柔らかくなりました。

でも、この話で一番お伝えしたいのは、「私が変われた」ということではありません。
本当にお伝えしたいのは、この変化は誰の身体にでも起こり得るということです。
身体には、本来、自ら学び、自ら変化していく力があります。
その力を引き出すために必要なのは、特別な才能でも、難しい技術でもありません。
大切なのは、身体が学びやすい順番で、一つひとつ丁寧に向き合うことです。
野球という競技は複雑な動作が多く簡単ではありません。
投げる、捕る、打つ、走る。
一つの動作の中に、全身の連動やタイミング、空間認識など、さまざまな要素が含まれています。
だから、野球での理想の動きを獲得していくには多くの時間が必要でした。
一方で、身体感覚そのものを育てることは、もっとシンプルです。
背骨の感覚を養うための「猫エクササイズ」も、その一つです。
一見すると、とても単純な動きです。背骨を一本一本、丁寧に動かしていくだけです。
しかし、武道を始めた頃教えてもらったのは、ただ形を真似して動くということではありませんでした。
自分の動きを動画で撮影し、客観的に見る。自分ではできていると思っていた動きが、本当にできているのかを確かめる。
理想の動きと比較して、違いを見つける。そして、一つだけ修正して、もう一度試してみる。
これを繰り返すことを教えてもらっていたのです。
実際に動画を見返すと、驚くことばかりで、背骨を動かしているつもりが、腰だけが動いていたり。
胸椎を動かしているつもりが、ほとんど動いていなかったり、自分の感覚と、実際の身体の動きには、大きなズレがありました。
ここに、身体を変えるための大きなポイントがあります。
多くの人は、エクササイズを一生懸命に行います。
でも、「本当に変わっているのか」を確認することは、あまりありません。
回数を重ねることや、頑張ることに意識が向き、自分の身体がどのように変化しているのかを客観的に見る機会が少ないのです。
しかし、身体はただ繰り返せば変わるわけではありません。
今、自分の身体はどう動いているのか、理想との違いはどこにあるのか、何を変えれば、もっと自然な動きになるのか、、そこに気づき、修正し、もう一度確かめる。
この循環を繰り返すことで、初めて身体は学び始めます。
「できているつもり」の身体から、「本当にできる身体」へ変わっていくのです。
この小さな循環を何度も繰り返していくうちに、少しずつ身体感覚が育っていきました。その変化は、決して派手なものではありません。
しかし、一つの感覚が身体に入ると、その変化は一部分だけでは終わりません。
・背骨の感覚が変わる
・立ち方が変わる
・歩き方が変わる
・股関節の使い方が変わる
・肩甲骨の動きまも変わっていく
身体は、すべてがつながっています。
だから私は、身体を変える近道は、難しい動きを繰り返すことではなく、一つひとつの身体感覚を丁寧に育てることだと考えています。
その小さな変化の積み重ねが、やがて大きな変化となり、気づけば野球のような複雑な動きにもつながっていったのです。
つまり、大切なのは難しい技術ではありません。
『身体が学びやすい順番で、一つずつ身体感覚を育てていくこと。』
私は、この積み重ねこそが、身体を変えるために最も大切な道筋だと考えています。

しかし、同時に感じていたことがあります。
一人でこの循環を続けることは、決して簡単ではありません。
自分の動きを客観的に見ること、本当の課題に気づくこと、そして、正しく修正していくこと。
これらを一人で行うには、時間も必要ですし、迷うこともあります。
だから、ずっと考えていました。
一人で遠回りしながら探求するのではなく、もっと短い時間で、もっと深く、もっと安心して、身体と向き合える環境をつくれないだろうか、と…。
そして、その答えがようやく形になりました。
冒頭で、「メールの最後に大切なお知らせをします」とお伝えしたのはこのことです。
そのお知らせとは、
13年間、自分自身の身体で探求し続けてきた「身体覚醒の型」を本気で身体と向き合いたい方々に伝えていくための、新しい学びの場を始める決意をしたことです。
私が提供したいのは、知識を学ぶ場所ではありません。
守破離の循環を、一人ではなく仲間とともに回し続けられる環境です。
感じる
↓
気づく
↓
修正する
↓
検証する
この循環を繰り返しながら、一人ひとりが自分自身の身体と対話し、本来の可能性を引き出していく。
そんな場所を、本気でつくります。
ここまでのメールでは、私自身の身体探求の物語をお届けしてきました。
ここからは、あなた自身の物語が始まります。
次回以降、、この新しい学びの場について詳しくお伝えしていきますので、楽しみにしていてください。


